【考察】仕事と労働の違いを考える

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仕事と労働の違いのAIイメージ画像

わたしは働くうえで仕事が労働であってはならないと考えてきました。

なぜそう考えてきたのか整理するためにこの記事にアウトプットしています。

インターネットを検索すると、仕事と労働の違いについて様々な意見があることがわかります。

そこで今流行中のchatGPT(AI)に「仕事と労働の違い」について聞いてみました。

仕事と労働の違いは、微妙なニュアンスがありますが、一般的には以下のように考えることができます。

「仕事」とは、個人が自発的に選んで行う、自己実現や社会貢献を目的とした活動のことを指します。仕事は、個人の興味や能力、志向性に基づいて選ばれ、自己実現や個人的な満足感を得るために行われることが多いです。

一方、「労働」とは、報酬を得るために行われる、必要性によって強制される活動のことを指します。労働は、経済的な報酬や生活の維持のために行われることが多く、個人の好みや能力に関係なく、必要な仕事をすることが求められます。

また、「仕事」は、職業としての意味合いが強く、専門的な技能や知識を必要とする場合が多い一方、「労働」は、身体的な労働や単純作業など、比較的低い技能や知識を必要とする場合が多いとされています。

簡単に言うと、「仕事」は自己実現や社会貢献のために行われる自発的な活動であり、「労働」は報酬を得るために行われる必要な活動です。

chatGPTより

上記をまとめると、「仕事」=自己実現や社会貢献、労働=報酬を得るための行為みたいな感じでしょうか。

このロジックだと、自己実現や社会貢献の仕事であっても、我々は報酬を得ており報酬を得られないと生活ができないのに報酬を得ているために労働になり、報酬を得られなくても自己実現や社会貢献のためであれば仕事になります。

ここについて理屈ぽい解釈をする必要はないかもしれませんが、働くうえでの価値観の相違につながるのではっきりさせたいところです。

大学の時に今村 仁司『近代の労働観』 (岩波新書)を読んで以下のように記載されていたことを思い出しました。

その本の中では、古代ギリシャ時代は労働は奴隷(身分の低いもの)が行うものであったが、近代に入り労働の価値が格上げされ、現在では仕事をしていないと怠け者扱いをうけるくらい労働(仕事)は人生のおける価値の大部分を占めた。労働は奴隷(身分の低いもの)が行うものから変遷してったとのことです。

現在の日本人の中では某有名な求人会社の影響で、仕事は自己実現や夢をかなえるためのもの、成長するためのものだとエトスが勝手に我々の中に注入され影響を受けすぎています。実際は仕事でなくても自己実現や夢をかなえることは可能です。

また仕事と労働の違いを報酬や自己実現などど一括りにすることはできません。

わたしは仕事と労働の違いは、強制力の違いだと思っています。

つまり、自発的に働くものにとって仕事と呼べるが、何かに従い仕方なく働いている人にとっては強制以外の何物でもないからです。ただ仕方なく報酬をえるために何かに強制され働いているだけです。

わたしは仕事が、後者であってはならないと思っています。

自己実現や社会貢献でなくて良いが、自発的に働く意義を持ち働かなければいけない。また自発的に働けない日毎は労働であり、自発的に働ける環境で働かなければ労働です。

また、歴史を振り返ると仕事(労働)は人への教育の場であると言えます。

刑務所に収容されている囚人が刑務所の中で労働を通して教育を受け社会復帰を目指すように、人間は労働を通して教育を受けているとも言えます。仕事(労働)は教育の役割も担っているのです。

そう思うと、仕事に対する解釈がすっきりするように思います。

仕事は自己実現や自己成長のためをいう方もいますが、仕事が今も昔も仕事は教育の場であり、自発的に働く意義を持ち働く宿命なのだと。

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